佐伯啓思 アメリカ型システムと決別せよ

目指すべき社会の将来像を描け

── まず、アベノミクスの評価から伺えますか。

佐伯 アベノミクスは正念場だと思いますね。脱デフレと景気回復を目指し、第一の矢の金融緩和と第二の矢の機動的な財政出動によって一定の成果を上げたことは否定できません。この成果が長期的な経済成長につながるには、第三の矢の効果が出てこなければならないわけですが、これは非常に難しいと思います。

 たとえば、医療や生命科学など新しい産業分野の振興が盛り込まれていますが、これには相当の時間がかかります。また地方創生という掛け声も悪くはありませんが、これも簡単にできるような話ではありません。女性の社会進出の促進も言っていますが、人口減少抑制という政策と両立するのかという疑問があります。つまり、成長戦略には様々な政策が網羅されていますが、基本的な考え方が明瞭ではないのです。

 しかも、安倍政権の経済政策には、二つの全く異なる考え方が混在しています。一つは政府が積極的に経済を引っ張っていく、産業を育てていくというケインズ主義的かつ重商主義的な考え方です。第二の矢の機動的な財政出動はもちろんケインズ主義的な考え方ですし、政府がはたらきかけて地方を創生するという考え方もまた新重商主義のようなものです。もう一つは新自由主義的な考え方です。競争によって民間企業の活力を引き出すという市場中心の考え方です。これは構造改革の延長であり、規制緩和を推進しようという政策です。この二つの考え方は対立するのです。ケインズ主義と新自由主義の悪い部分が重なると、どうにもならなくなります。

 安倍政権の経済政策に決定的に欠けているのは、目指すべき社会の将来像です。社会像をまず定め、そこから逆算して必要な成長戦略を決めるべきなのです。

 日本を取り巻く状況をきちんと把握する必要があります。人口減少、少子高齢化が確実に進み、グローバル経済が非常に不安定化し、中国経済の先行きが不透明です。さらにいま、世界的に金融市場におカネがだぶついていて、非常に不安定になっています。また、新興国の成長が続けば、資源問題、環境問題がさらに深刻になってきます。このように世界経済の先行きには不確定な要素が多く、予測しにくくなっているのです。こうした中で、日本がこれ以上グローバルな競争を続けていくことが果たして正しい選択なのかということが問われているのです。

 そもそも、人口が減少し、少子高齢化が進む社会が成長することは難しいのです。にもかかわらず、成長を無理やり追求するような政策を打ち出せば、国民生活に大きな負担を与えることになるでしょう。人口減少、少子高齢化が進む社会は、消費が拡大する社会、マーケットが増大する社会ではありません。日本経済の停滞の原因は供給側、企業側の能力が低下していることにあるのではなく、需要側、消費者側の能力が低下していることにあるということです。この趨勢はそれほど簡単に変えることはできません。ですから、人口減少、少子高齢化を前提として国民の生活の質をどう高めるかということを考える必要があるのです。これに、医療システムをどうするのか、公共交通機関をどうするのか、住宅をどうするのかといった問題が関わってきます。これはモノではなくシステム作りです。10年、15年後ぐらいを見据えて、日本社会のシステムをどう設計するかが重要な課題だと思います。そのためには、いまそうしたシステムに向けた投資をしていかなければ間に合いません。将来の青写真を描いてこそ、いかなる公共投資を行うかなど、やるべき政策が明確になってくるのです。

 こうした社会のビジョンを描いた上で、必要な経済政策を決めるのが正しい順序のはずですが、安倍政権の経済政策には、ビジョンが欠落しているのです。

戦後七〇年を迎え、戦後体制を根本的に見直せ!

── 安倍政権の外交姿勢は対米追従だという批判があります。

佐伯 現実問題として言えば、憲法九条の制約で軍事力を持てない現状では、日米同盟に依存せざるを得ません。安倍政権もそれを前提にし、集団的自衛権を行使できるようにすることによって日米同盟を強化しようとしています。

 しかし、それが非常に変則的な状況だということを踏まえなければなりません。日本が独自の自主防衛体制を固めた上で、アメリカと同盟関係を結ぶのが、本来の同盟関係のはずです。来年は終戦から70年ですから、戦後日本の外交防衛の在り方をきちんと議論することが大事だと思いますね。

 平和憲法と日米安保という体制のもとで、経済成長を優先するというのが戦後日本の基本路線でしたが、なぜこうした体制が生まれたのかということを、改めて考え直す必要があります。サンフランシスコ講和条約は1951年9月8日に調印され、翌1952年4月28日に発効しました。この4月28日に日本の主権を回復したわけですが、それが本当の意味での主権回復だったのかが問われなければなりません。自主防衛ができない国が果たして主権国家たりうるのか。……

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