西岡研介 保守のまがいもの・百田尚樹

 法廷に入った時から、その男は落ち着かない様子だった。虚勢を張るかのように傍聴席を一瞥し、証人席に着く。裁判長から氏名を尋ねられると、甲高い声でこう名乗った。

「百田尚樹です」

 百田氏が証人に立つことになったのは、彼が2014年11月に上梓した『殉愛』(幻冬舎刊)が原因だった。

 同書は、同年1月に亡くなった歌手で、生前は「関西の視聴率王」と呼ばれたタレントの故やしきたかじんと、彼が亡くなる僅か2カ月前に結婚した、3番目の妻の「さくら」氏との闘病生活を描いたもので、帯ではこう謳っている。

〈この物語は、愛を知らなかった男が、本当の愛を知る物語である〉

〈『永遠の0』、『海賊とよばれた男』の著者が、故人の遺志を継いで記す、かつてない純愛ノンフィクション〉

 発売当日(11月7日)には、TBS系列の全国ネット「中居正広の金曜日のスマたちへ」が、特別番組「2時間SP やしきたかじん」を放映するなど、大々的なPRが行われたこともあって、同書は累計30万部を超えるベストセラーとなった。

 ところが、その直後から、ネット上で『殉愛』の記述や、さくら氏が「たかじんが生前に書いた」と主張するメモの真贋、さらには、さくら氏の過去の結婚歴などを巡って疑惑が噴出した。

 さらに出版から2週間後の21日には、たかじんの唯一の実子である長女が、「百田氏から一度も取材を受けていないのに、親子関係が悪かったかのように書かれ、誹謗中傷されただけでなく、亡き父に対する遺族の敬愛追慕の情まで侵害された」として、版元の幻冬舎に対し、出版差し止めと損害賠償を求め、東京地裁に提訴。これによって〈かつてない純愛ノンフィクション〉は、近年まれにみる〝事故本〟と化したのだ。

 さくら氏の言い分に〝丸乗り〟した同書のデタラメぶりは、『百田尚樹「殉愛」の真実』(宝島社刊・以下『殉真』と略)で徹底的に検証したのでそちらに譲るが、前述の長女が起こした出版差し止め訴訟で、百田氏は著者として証人申請され、16年3月2日、尋問が行われた。

 『永遠の0』や『海賊とよばれた男』など数々のベストセラーを出した著名な作家が法廷に立たされる姿を一目見たいと思ったのか、はたまた、ネットを中心に今なお燻り続ける「殉愛騒動」への関心の高さをあらわしてか、東京地裁には当日、傍聴券を求める人々で長蛇の列ができた。

 前述の『殉真』の著者の一人である私も、ダメモトで最後尾についたのだが、生来のクジ運の悪さがたたって抽選から漏れた。しかし、親切な『殉真』の読者が、当選した傍聴券を譲ってくれたことで、何とか法廷に入ることができたのだった。

 過去に総理大臣をはじめ政治家、JR東日本の労働組合などから総計50件以上の名誉棄損訴訟を起こされ、幾度となく証人席に立たされるという不名誉な記録を持つ私の経験上、証人尋問の要諦は二つ。質問には「はい」、「いいえ」と可能な限り簡潔に答える。相手側弁護士の挑発に乗らない──これに尽きる。

 ところが百田氏は主尋問(今回のケースでは被告=幻冬舎側代理人弁護士による尋問)の段階から、自説を滔々と述べ、裁判長から「簡潔に」と注意される始末。さらに反対尋問(原告=長女側代理人弁護士による尋問)では、相手側弁護士の挑発にまんまと乗って逆上。最後には相手側の質問自体に激昂し、「なに言うとんのや!」とヒステリックに叫び、傍聴席の失笑を買っていた。

 かくして2時間以上に及んだ法廷での「百田劇場」は幕を閉じたのだが、傍聴していた私は改めて、百田氏にはノンフィクションを書くに際して不可欠の、「事実」を探求し、検証するという姿勢が決定的に欠けている、と感じた。

 それを如実に表していたのが、反対尋問で飛び出したこの証言だった。……


以下全文は本誌4月号をご覧ください。