本書は、米モンタナ大学マンスフィールド・センター所長を務めたポール・ゴードン・ローレン氏のPower and Prejudice : The Politics and Diplomacy of Discrimination(『国権と偏見─人種差別の政治と外交』)を大蔵雄之助氏が翻訳したものである。脚注部分抜きで428頁にも上る大著だ。
本書を貫く問題意識は、ローレン氏の序文にある、「われわれの時代がかかえる問題のなかで、人種と、その最も容易な判別の基準となる肌の色ほど世界に対して圧倒的な衝撃力をもっているものは少ない。実際に、人種問題は現代の国際政治と外交の大きな流れに深遠な影響を及ぼしてきた」という言葉に示されている。
国際政治と外交の歴史を人種という一貫した視点で分析した本はそれほど多くはない。しかも、大航海時代にまで遡って人種問題を論じた本は珍しい。本書は古代にまで遡って、いかに人種問題が根深い問題かを示す。
〈偏見の伝統は、古代ギリシアという西欧文明自体の淵源にすでに萌芽の兆しがあった。…政治哲学者のアリストテレスがその『政治学』で「野蛮人と奴隷は本質において同一である」と断言した……ヨーロッパの亜寒帯地域の住民を彼は「技能と知能が不足している」と記述し、アジアの住民は「気力を欠き、このために彼らは引き続き臣従と隷属の民としてとどまる」と言う〉(26頁)
ローマ時代については、知識人たちが南方や東方の人種についてとてつもない否定的イメージを受け入れていた事実を具体的に指摘している。そして、中世とルネサンス期の文書はこうした人種についての観念を増幅して伝えていったのだ。やがて大航海時代を迎え、ポルトガル、スペインが植民地を獲得し、イギリス、オランダ、フランスなどがそれに続くが、その背景にも人種的偏見があった。例えば、スペインの権威者たちは「インディオは動物よりもちょっとましな異教徒の野蛮人」として、奴隷にするのにちょうどいいと説いていた。白人支配の根深さを考える上で、これらの内容を記述した第一章「過去の重荷」を読むだけでも十分な価値がある。
続く第二章では、日露戦争におけるわが国の勝利がもたらした人種問題への影響が多面的に紹介されている。
〈デュボイスらアメリカの多くの黒人は驚くどころか、日本人による白人に対する勝利に鼓舞され、白人が態度や政策を変更しなければ、黒色、褐色、黄色の人種が一斉にめざめて地球的規模の人種戦争を挑む日がいつか来るだろうと予告した〉(108頁)
第一次世界大戦後のパリ講和会議の国際連盟委員会でわが国が主張した人種差別撤廃については、第三章全体が割かれている。アメリカが1924年に施行したいわゆる排日移民法は日米対立の一因となったが、第四章では大戦との関係でこの問題が取り上げられている。また、大東亜戦争が人種問題の改善に大きな意味を持っていた事実は次のように紹介されている。
〈植民地勢力の相次ぐ敗北と屈辱によって、日本は占領地全域で「人種意識」を大いに高め、第二次世界大戦の闘いを東の西に対する、有色人種の白人に対する勝利という形で、しばしば熱烈に吹き込むことができた〉(292頁)
さらに、わが国が各国の民族意識を発展させる上で大きな役割を果たした事例として、1943年の大東亜会議を挙げている。
本書からは、近代における人種問題改善においてわが国がいかに大きな役割を果たしてきたかを知ることができる。しかし、近代化に伴って、わが国が名誉白人意識を抱いてきたことも忘れてはならない。実際、昨年末に亡くなったネルソン・マンデラ氏から「日本は人種差別に加担する遺憾な国である」と批判されたことがある。戦前を振り返っても、日本政府は1933年に国際連盟脱退を表明するまでは西洋列強との協調を維持し、抑圧されたアジア諸国の亡命者たちに冷淡であった。
訳者あとがきにある次の一文について、いまこそ日本人は考えるときではなかろうか。
「日本人は一方では白人に迫害されていながら、他方ではアジアの同じ黄色人種を侮蔑するという二面的性格でユニークだった」
(編集長 坪内隆彦)