【書評】 日本と朝鮮の一〇〇年史

 日韓関係が危機的状況に陥っている。韓国の李明博大統領が竹島に上陸し、天皇に謝罪を求めたと報じられたことにより、日本中をナショナリズムが席巻した。それに対して、韓国国内でもナショナリズムが高揚し、反日デモが頻発している。
 李大統領の言動は許されざるものである。しかし、韓国の国家政策を批判することと、韓国人一般を批判することとを同一視すべきではない。日本人の多くが、極端な在日朝鮮人批判に対して違和感を抱いているように、韓国の中にも、極端な日本批判に対して違和感を抱いている人たちはたくさんいる。そうした人々の存在を忘れてはならない。
 中国が急速に力をつけ、アメリカがアジアに対する圧力を強めている状況下において、日韓が争うことで得られるものなど何もない。我々は和解のための着地点を見出さねばならない。
 1919年3月1日、大日本帝国の植民地下にあった朝鮮では大規模な独立運動が起こった。三・一独立運動である。その直接的なきっかけとなったのは皇帝・高宗の死であった。高宗は日本の支配に対して抵抗を続け、ハーグ平和会議に朝鮮独立を訴える密使を送ったこともあったため、その死について毒殺説も流れていた(本書63頁)。
 彼らは決起に先立ち、独立宣言を起草した。それは日本を批判することではなく、日本を説得することに重点の置かれたものであった。
「…丙子修好条規(日鮮修好条規)以来、時々種々の金石の盟約を蹂躙したからといって、日本の信なきを罪せんとするものではない。日本の学者は講壇において、日本の政治家は実際において、わが祖宗の世業を植民地視し、わが文化民族を野蛮人なみに遇し、もっぱら征服者の快楽を貪るのみであるが、わが久遠なる社会的基礎と卓越した民族心理とを無視するものとして、日本の不義をせめんとするものではない。自己の鞭励するのに急なわれわれは、他人を怨み咎めるいとまはない。現在の問題を綢繆するに急なわれわれは、過去を懲弁するいとまはない。こんにちわれわれの専念するところは、ただ自己の建設にあるだけで、決して他を破壊するものではない。厳粛なる良心の命令により、自国の新たな運命を開拓しようとするものである。けっして旧怨および一時の感情によって他を嫉逐排斥するものではない。旧思想、旧勢力に束縛された日本為政家の功名心の犠牲となるという不自然にしてかつ不合理な錯誤状態を改善匡正して、自然にしてまた合理的な正経の大原に帰ろうとするものである。当初から民族的要求に由来しなかった両国併合の結果が、畢竟、姑息的威圧と差別的不平等と統計数字の虚飾との下において、利害が相反する両民族間に、永遠に和同することのできない怨恨の溝をますます深くしているこんにちまでの実績をみよ。勇明、果敢をもって旧き誤りを廓正し、真正なる理解と同情とを基本とする友好的新局面を打開することが、彼我の間に禍いを遠ざけ、祝福をもたらす捷径であることを明知すべきでなかろうか。…」(72頁)
 植民地当局はこれに対して厳しい弾圧を加えた。一説によれば、死者7509人、負傷者1万5961人、逮捕者は4万6948人にも上ったと言われている(77頁)。
 この独立運動は、日本のほとんどのメディアで批判的に報じられた。しかし、少数ではあるが、それを擁護する人たちもいた。
 その一人が石橋湛山である。石橋は「凡そ如何なる民族と雖、他民族の属国たることを愉快とする如き事実は古来殆どない。朝鮮人も一民族である。…衷心から日本の属国たるを喜ぶ鮮人は恐らく一人もなかろう」と述べ、「無用の犠牲を回避する道ありとせば、畢竟鮮人を自治の民族たらしむる外にない」と論じた(82頁)。
 また、内田良平も、今回の暴動は「朝鮮併合の後始末が頗る当を得ざるものありしが為めなり」と述べ、「其統治の大方針としては早晩彼等に許すに自治を以てするにあり」と訴えた(83頁)。
 自国の独立を主張するのであれば他国の独立も認めるべきである。彼らの訴えは至極当然のものであった。
 独立宣言を起草した人々はその後、親日派として裏切り者の烙印を押されることとなった。しかし、彼らが命を懸けて訴えたこの精神こそ、日韓両国が共に見直すべきものではないだろうか。
 現在、日本はアメリカの植民地下に置かれている。この現状に怒りを感じるのであれば、我々も朝鮮の怒りを正面から受け止めなければならない。その覚悟がない人間に、アメリカからの独立を主張する資格はない。

(編集委員 中村友哉)