今こそ靖国神社を考え直す

靖国神社と神社本庁

 靖国神社宮司の小堀邦夫氏が天皇陛下を批判した一件は、小堀氏退任という事態に至りました。しかし、問題はこれで解決したとは言えません。我々は改めて靖国神社とは何かということを考える必要があります。

 こうした中、靖国神社について考える上で重要な書籍が出版されました。朝日新聞編集委員・藤生明氏の著書『徹底検証 神社本庁』(ちくま新書)です。藤生氏は右派業界や宗教分野などを重点的に取材しており、『ドキュメント 日本会議』(同前)という著作もあります。本書はいわばその続編です。

 本書のメインテーマはその名の通り神社本庁ですが、神社本庁と靖国神社は切っても切り離せない関係にあります。その一つが靖国神社国家護持運動です。神社本庁はこの運動に深く関わってきました。藤生氏はGHQ(連合国軍総司令部)の占領政策まで遡り、靖国神社国家護持運動の経緯を解き明かしています。

 1945年12月、GHQは神道指令を発し、国家神道を廃止し、神社を国家から切り離します。これにより、靖国神社も国家から分離され、宗教法人として出発することとなりました。これは靖国神社にとっては苦渋の決断でした。彼らは「神道は宗教にあらず」という国家神道の理念を持っており、国事のために働いた人の魂を祀るという行為が宗教という名になじむかどうか、疑問を感じていたからです(本書118〜119頁)。

 そのため、靖国神社は、祀りだけを行う「祭祀法人」になることも模索していました。しかしその場合、靖国神社はGHQから廃止される危険性がありました。ハーグ条約では宗教団体への弾圧は禁じられているが、祭祀法人ならばその適用除外となるからです(同前)。

 もっとも、当時のGHQの権力をもってすれば、宗教法人であれ祭祀法人であれ、その気になれば靖国を廃止に追い込むことができたでしょう。実際、彼らも「いつでも廃止できる」という意思表示をしていました(121頁)。靖国神社の国家護持が求められた背景には、こうした経緯がありました。

 しかし、この運動は結局のところ、うまくいきませんでした。まず、社会党をはじめとする野党や、戦前弾圧された経験のある宗教団体が反発します。また、自民党が国家護持のために靖国神社の宗教色をなくそうとする動きを見せたため、靖国神社や神社本庁もまた反対するようになったのです(124~128頁)。

A級戦犯分祀で靖国問題は解決するか

 靖国神社を語る上で避けて通れないのは、いわゆるA級戦犯の合祀です。小堀邦夫氏も皇室批判をする中で、この問題に言及していました。

 A級戦犯を合祀したのは、当時の靖国神社宮司・松平永芳氏です。松平氏は宮司に就任する前から、「すべて日本が悪い」という東京裁判史観を否定しなければ日本の精神復興は実現し得ないと考えていました。そもそもA級戦犯とされた人たちは、サンフランシスコ講和条約が発効する以前、すなわち戦闘状態が継続する中で死刑に処された。そうであれば、彼らは戦場で命を落とした人たちと同じ立場である。それゆえ、合祀しても何ら問題はない――。これが松平氏の理屈です(174~175頁)。

 この説明には一定の理があると思います。しかし問題は、それがいったい何をもたらしたかということです。A級戦犯合祀が直接の原因であるかどうかは議論のわかれるところですが、結果として天皇陛下のご親拝はなされなくなってしまいました。これは靖国神社にとっても決して望ましいことではないはずです。

 こうした状況を打開するため、A級戦犯の分祀を唱える声もあります。しかし、藤生氏はそれに疑問を呈しています。分祀が実現しさえすれば、靖国問題は全て解決となるだろうか。そうではあるまい。政教分離という、古くて新しい問題は残ったままではないか、と(182頁)。

 これはまさにその通りです。付け加えるならば、これほど靖国神社が政治問題化してしまった以上、仮に政教分離問題を解決できたとしても、果たして天皇陛下のご親拝は実現できるでしょうか。それほど事態は深刻だということを認識する必要があると思います。

 なお、ここでは靖国神社を中心に扱いましたが、本書のテーマはあくまでも神社本庁です。神社本庁を揺るがしている不動産取引問題の背景も詳しく描かれており、最近の神社界事情を知りたい方は必読です。