本誌編集部 アメリカに奪われた尖閣諸島

尖閣問題の背後に潜むアメリカの存在

 国力が低下すると、その国の周縁地域には遠心力が働く。ユーロ危機により財政再建が困難となっているPIIGS(ポルトガル、イタリア、アイルランド、ギリシャ、スペイン)が、広域国家・EUの周縁に位置しているのは偶然ではない。

 これは日本においても同様である。普天間問題をめぐる沖縄の人々の反発は、もはや民主党政権に地方の遠心力を押えこむ力がないことを表している。民主党がマニフェストで掲げていた地域主権は、今日において実質的な実現をみたのである。

 この遠心力が領土問題へと発展したとき、それは国家分裂を招くことになる。

 4月16日、シンポジウムに参加するためアメリカのヘリテージ財団を訪れていた東京都知事・石原慎太郎氏は、都が尖閣諸島の一部を購入する方針を決めたことを明らかにした。購入の対象として魚釣島と北小島、南小島の3島を挙げ、後に久場島も含めると発表した。

 石原氏の発表は日本中にナショナリズムを巻き起こした。尖閣諸島の購入や活用のために都が募集した寄付金は、6月には10億円を突破するまでに至った。メディアや世論の多くも、石原氏の決断を支持しているように見える。

 中国の脅威に対抗するために尖閣諸島を購入するというのは、領土を守るための一つの選択肢としては理解しうるものである。尖閣諸島の行政区域である石垣市の中山義隆市長もそれを支持している。

 しかし、このナショナリズムの陰に隠されている問題がある。それは尖閣諸島におけるアメリカの存在だ。以下では、この点に注目しつつ尖閣諸島を含む沖縄問題について論じていく。なお、本稿は、関西学院大学教授・豊下楢彦氏の論文「安保条約と『脅威論』の展開」に多く依っている。

日本人が行くことのできない島

 尖閣諸島は5つの島と岩礁からなっており、都が購入対象とした4島は現在個人の所有となっている。残り1島の大正島は国有地である。

 社民党の照屋寛徳議員の質問主意書に対する、2010年10月22日付の菅政権の答弁書によれば、久場島と大正島は1972(昭和47)年5月15日より米軍に射爆撃場として提供され、米軍がその水域を使用する場合は原則として15日前までに防衛省に通告することとなっているが、1978年6月以降は通告がなされていない、という。そのため、それらは30年以上にわたり使用されていないものと考えられる。

 また、これらの区域に地方公共団体の職員等が入るためには「米軍の許可を得ることが必要である」とされている。つまり、これらの島嶼は実質的に米軍の管理下に置かれており、日本人が行くことのできない領土なのである。

 2010年に日本中を騒がせた中国漁船衝突事件は、この久場島沖の日本領海内で起こったものである。

 日本人が行くことのできない米軍管理下の領域内で起こった事件なのだから、島の防衛は米軍が担当すべきであったはずだ。また、日米安保条約に「抑止力」があるならば、漁船衝突という事件を防ぐこともできたはずだ。

 しかし、中国に対して沸騰したナショナリズムに押し流されて、こうした問題が問われることはなかった。

 その後、当時の外務大臣・前原誠司氏がクリントン国務長官から、尖閣諸島が日米安保の適用対象であるという言質を得て、「勇気づけられた」と感謝の意を表明することとなった。

 日本国憲法を堅持している以上、日本は米軍の力に頼らざるを得ない。前原氏のとった行動は、領土を守るための一つの選択肢としては理解しうるものである。

 しかし、そこにあるアメリカの不作為、島嶼をめぐる日米関係に目を向けないのであれば、それはあまりにも不誠実である。中国の属国となることを避けるためにアメリカの属国となることを選択する人間に、国益を語る資格はない。

なぜアメリカは尖閣諸島を欲したのか

 久場島と大正島の米軍への提供は、昭和47年5月15日に開催された日米合同委員会において、日米地位協定2条1(a)の規定に基づき決定されたものである。

 同時に、日米地位協定では2条3において、「合衆国軍隊が使用する施設及び区域は、この協定の目的のため必要でなくなったときは、いつでも、日本国に返還しなければならない」とも定められている。

 30年以上も使用していないのだから、アメリカはもはや島を必要としていないはずである。それにも関わらずアメリカが返還しようとしないのはなぜか。

 ここで注目すべきは、それが決定された昭和47年5月15日という年月日である。すなわち、アメリカは沖縄返還と同時に尖閣諸島の提供を求めたのである。

以下全文は本誌8月号をご覧ください。