【書評】  日本のアジア外交 二千年の系譜

 現在わが国と近隣諸国との緊張が高まっているが、通常日中関係や日韓関係を語る際、その視野に置かれるのは、せいぜい大東亜戦争に至る100年ほどの歴史であろう。
 しかし、わが国とアジア諸国との関係を考えるには、さらに長期的な視点が求められる。この要請に応えてくれるのが、2000年の歴史に遡って日本のアジア外交を考察した本書である。著者は、日本外交の明白なビジョンが今求められていると指摘し、次のように書いている。
 〈そうしたビジョンを考えるにあたっては、観察の時間軸を長くのばし、卑弥呼や聖徳太子の外交からも、教訓をえることが必要に思われる。なぜなら、日本近代のアジア外交が、欧米外交の従属変数になってしまったことの反省の上に立って、新しいアジア外交を再構築しなければならないと思われるからである。すなわち、日本外交が、欧米を中心とする国際社会にどう対応すべきかという課題をつきつけられた「近代」に突入する以前の段階で、日本とアジアがどう向かい合ってきたかを考察してみる必要があるのではなかろうか〉(2~3頁)
 このように極めて長い時間軸から日本のアジア外交の軌跡を追うことによって、これまであまり指摘されてこなかった重要な事実が浮かび上がってくる。
 その一つとして著者が挙げるのは、日本のアジア外交が、内政上の思惑によって影響を受け、長期的な観点からの戦略性を欠きがちだったことである。そして、著者が注目するのが、抗争や摩擦の背景にある、国家観や領土観の問題だ。著者は、日本という国家を精神的空間としてとらえ、そうした精神を守ることこそが日本の安全保障政策ないし外交政策の根本にあるとする思想が、日本歴史上、典型的に現れた例として、日蓮上人の『立正安国論』を挙げる。同書は、「正法」が流布されなければ、他国の侵略を招き、内乱が起こりかねないことを説いていたが、その刊行から数年後に、蒙古から通交を要求する来諜が到来したこともあり、極めて大きな政治的外交的意味を持つようになった。
 著者は、遡れば卑弥呼もまた、中国(魏)との間で、戦略的理由や内政上の動機から、ある種の「価値の共有」に基づく同盟を結んだと指摘し、「共通の価値観」は、単に外交的意味を持つばかりではなく、お互いの国内の政治体制の維持、強化をも含意している場合が多いと説く。
 ここで、著者はアジア的価値観に基づいた外交という視点から豊臣秀吉の外交に注目する。
 〈一五九一年七月、秀吉が、ポルトガルのインド総督に送った返書の内容を見ると、そこには、キリスト教をもって日本国民を魔道にひきいれるものであるとの糾弾と共に、日本、明、印度までも含めてアジア全域で行われている「神儒仏」は元来同じものであるという主張が行われているのである。/秀吉の日本統一は、日本という国家意識の明確化と拡大化を伴い、そのプロセスは、次第に、今日でいうところの(地理的)アジア、そして価値の共同体としてのアジアという概念の形成を含んでいたのだった〉(69頁)
 そして、近代においてアジアの思想や伝統が、遅れたもの、非文明的なものと見なされ、「負」の価値を持つものと見られてきたゆえに、アジア主義が大きな障害に直面せざるを得なかった歴史を踏まえた上で、「アジア主義の核心は、既存のアジアの防御ではなく、新しいアジアにとっての価値観の創造なのである」と説く(76頁)。
 著者は、「東アジア共同体論の課題と展望」と題した別の論稿において、人権や民主主義といった、いわゆる世界的ないし普遍的な価値は西洋的なものではなく、むしろアジアの歴史的伝統の中にすでに存在していたことを根拠だてるという意味で、アジアという概念が使われる時代に突入しているのであると主張し、「アジアが世界全体のために責任を果たすための核として機能する東アジア共同体」という構想を唱えている。
 いまわが国に求められているのは、本書を支えている長い時間軸からの考察と、「新しいアジア」という視点なのではなかろうか。

(編集長 坪内隆彦)