佐藤優 今こそ『資本論』を読み直す

なぜ今『資本論』なのか

―― 本誌は事あるごとに新自由主義を批判してきましたが、それでも新自由主義政策は続出し、気づけばモグラ叩きのような状態です。新自由主義はどこから出て来るのかという構造的問題について伺いたいと思います。

佐藤 それは重要な視点ですね。「資本主義はけしからん!」と道徳的批判を繰り返しているだけでは、新自由主義に対抗することはできません。新自由主義の是非は一度置いておいて、そもそも何故こういう問題が起きるのかを考える必要があります。それを読み解く鍵はマルクスの『資本論』にあります。

 私は最近『いま生きる「資本論」』(新潮社)という本を出版して、現在の危機的状況を『資本論』から分析しました。『資本論』には共産主義を訴える革命の書としての側面と、資本主義の内在的論理を分析した論理の書としての側面があります。

 ソ連崩壊後、革命の書である『資本論』は用済みだという風潮がありましたが、それは一面的な批判です。共産主義という天敵が消え、資本主義が暴走している現代こそ、論理の書としての『資本論』が重要なのです。

そもそも資本とは何なのか

―― 新自由主義を理解するためには、資本主義を理解しなければならない。

佐藤 そして資本主義を理解するためには、まず資本を理解する必要があります。その前提になるのが商品です。それですから商品についてまず考える必要があります。

 『資本論』によると、まず共同体と共同体の間で物々交換が始まります。たとえば農民と漁師の間でコメと魚を「商品」として交換する。しかしここに狩人が入ってきて、農民は肉が欲しいけど、狩人は魚が欲しくて、漁師はコメが欲しいという風に、需要と供給は合致しないことが多い。だから実質的に物々交換は成り立ちません。そこから「何とでも交換できるもの」として「貨幣」が登場します。そうすると貨幣を媒介に商品交換を生業とする商人が出てきますね。商品交換の目的はカネ儲けです。ここから利潤を増やそうとする運動、つまり「資本」が出てきます。

 商人の仕事は安く買って高く売ることです。その差額が利潤になります。たとえば大航海時代、商人はインドで仕入れた香辛料をヨーロッパで何十倍、何百倍の値段で転売していました。こういう資本を「商人資本」と言って、その運動は「貨幣―商品―貨幣+利潤」、すなわち「G―W―‘G(G+g)」という形で表せます。ゲルトは商品(※)、ヴァーレは商品という意味です。「g」は利潤を表しています。

 そうすると今度は商人にカネを貸す「金貸し資本」が登場します。金貸しが商人にカネを貸すと、商人は借金に利子をつけて返します。この利子が金貸し資本の利潤になります。この運動は「G…‘G」という形で表せます。「…」は時間経過を意味しています。ポイントは、金貸し資本の利潤(利子)は商人資本の利潤(差額)から来ているということです。

 要するに商品があるところには貨幣があり、貨幣があるところには資本があるということです。商品・貨幣・資本はセットなのです。しかし、資本主義以前の社会では、こういう経済活動は、社会全体からすれば、ほんの一部に過ぎなかったのです。

 カール・ポランニーという経済学者は、人間の経済活動は三つあると言っています。

 まず「贈与」。金持ちがひたすらバラ撒くという活動です。次に「相互扶助」。ご近所さん同士でコメや野菜なんかを配り合うような、お互い様の助け合いですね。最後に「商品経済」。これは商品を貨幣でやりとりする、売買するということ。商品・貨幣・資本は、この商品経済の中の話です。だから「肉じゃが作りすぎちゃったから良かったらどうぞ」というのは相互扶助ですが、「じゃあ悪いけど500円頂けるかしら?」というのは商品経済だということです。

 資本主義以前の社会では、贈与や相互扶助の領域が広く、商品経済の領域は限定的でした。しかし資本主義社会では、商品経済が社会全体を覆うことになります。そのきっかけが「労働力商品化」という現象です。

資本主義の核心は「労働力商品化」にあり

―― 「労働力商品化」とは、難しそうな言葉ですね。

佐藤 この「労働力商品化」が『資本論』、そして資本主義の核心なのです。だからこれを理解することが非常に重要です。

 「労働力商品化」のきっかけは、17世紀末にイギリスで起きた第一次囲い込みでした。当時のヨーロッパは寒冷化していて毛皮が売れたので、領主は農地を牧草地に変えるために農民を追い出しました。この時、土地や身分から「自由」になり、生産手段からも「自由」になった人間が現れました。

 こういう「二重の自由」を持つ人間は贈与や相互扶助が機能している共同体から放り出されているため、商品経済の中で自力で生きていくしかありません。また生産手段を持っていませんから、他人の元で働くしかない。結局、彼らは資本家と雇用契約を結んで賃金労働者になり、都市部の工場で働きました。ここがポイントです。

 つまり、この雇用契約は、労働者と資本家が「労働力」という「商品」の売買契約を交わしたということなのです。これが「労働力商品化」です。

 この流れはどんどん拡大していって、資本家が生産手段を独占する一方、大多数の人間が「二重の自由」を手にして賃金労働者になりました。こうして社会規模の労働者階級が形成されたのです。彼らは自分の「労働力」を売って賃金労働者になる以外に生きる術を持たない。つまり労働者は商品経済に組み込まれ、その中で「労働力商品」として生きるしかないということです。

 さらに「労働力商品化」は「産業資本」を生みだしました。紡績工場を例にとりましょう。資本家は紡績機(生産手段)を持っていて、労働者は紡績機を稼働させて繊維から糸(商品)を生産する。労働によって繊維が糸になることで高く売れる。つまり労働が新しい価値、つまり剰余価値を生み出しているのです。だから産業資本の利潤は「労働力商品」が創出する剰余価値になります。

 産業資本は「労働力商品」を原動力に発展していく。労働者階級は産業資本に「労働力商品」を売ることで生きていく。彼らはまた労働力商品の対価である賃金でもって、食べものや衣服という「商品」を購入して消費することで生活していく。こうして贈与や相互扶助ではなく、商品経済が人間生活の根本を支配して、社会全体を征服したのです。

 ここにおいて資本主義が成立しました。資本主義とは、商品経済システムなのです。システムというのは生命体や環境のような有機体のことです。機械やプログラミングのような、パーツを組み合わせて構築できるメカニズムとは異なります。

 だから資本主義が商品経済システムだというのは、商品の生産・消費・交換が人間生活や社会全体と分ち難く結びついて運動している一つ有機体なのだという意味です。そして、この有機的結合の核心は「労働力商品化」なのです。……

※「ゲルトは商品」とありますが、正しくは「ゲルトは貨幣」です。訂正の上、お詫び申し上げます。

以下全文は本誌9月号をご覧ください。