岸田秀 屈辱的現実から眼を逸らすな!

嘉永六年、日本はペリーに強姦された

―― 岸田さんは『ものぐさ精神分析』『歴史を精神分析する』という著作の中で、精神分析学者という立場から独自の日本論を提起しています。

岸田 日本人は精神分裂病的である、これが私の考えです。この精神分裂病は古代に起源を持っていると思いますが、今回は病状が重くなった近代以後の話をします。この病は現在に至るまで治らっておらず、未だに症状が出ています。たとえば日本の首相はアメリカの不興を気にせず肩で風を切って靖国神社を参拝し、そうかと思うと、米議会でアメリカに迎合したスピーチを嬉々と英語でする。こういう矛盾した行動が精神分裂病の特徴なのです。もちろん、これは安倍さん個人が精神分裂病患者だということではなくて、日本国民全体が多かれ少なかれ精神分裂病的なのだということです。

 1853年(嘉永6)、日本はペリーに強姦されました。四隻の黒船に脅されて無理やり港を開かされたのは、女が無理やり股を開かされたようなものです。その結果、不平等条約を押し付けられました。こんな屈辱的現実は認めることができなかったが、かといって拒否することもできなかった。

 このようなペリー・ショックが精神的外傷になって、日本人は外的自己と内的自己に分裂しました。まず不当な要求をする他者に服従して屈辱的現実に適応する外的自己が形成されます。しかし、それでは誇りを傷つけられ、自己同一性が喪失の危険にさらされます。そこで誇りを回復するために、そのような外的自己を仮りの自分、偽りの自分と見なす内的自己が形成されます。

 ところが、嘘の自分と本当の自分を使い分けるという、まさにその防衛方法によって精神は分裂するのです。自己同一性を安定させようとして逆に不安定にしてしまうわけです。

 こうして、日本人は内的自己と外的自己、すなわち対米従属的な開国派と対米敵対的な攘夷派に分裂しました。以後、近代日本は内的自己と外的自己の矛盾、葛藤、相克を繰り返すことになります。

名誉白人と呼ばれて喜んだ日本人

―― 歴史に照らして詳しく教えて頂けますか。

岸田 簡単に歴史を振り返りましょう。幕末では開国派と攘夷派が激しく対立していました。幕府は不平等条約を結んで国際社会に適応しようとしました。しかし、このような屈辱は神州日本にとってあるまじきことです。したがって薩長は幕府に背いて攘夷を貫こうとします。

 しかし内的自己は外的現実と他者から切り離されているので、現実的な適応能力を持っていません。それゆえ薩長は薩英戦争と下関戦争に敗けて、攘夷は不可能だという現実を突き付けられます。

 これを機に薩長は攘夷派から開国派に転じて明治維新となりました。この争いの結果、勝利を収めた外的自己が表舞台に立ち、敗北を喫した内的自己は裏舞台に退きました。

 とはいえ、明治政府もまた精神分裂病的です。だから明治政府は外面と内面を使い分ける方針をとりました。具体的には欧米に対して面従腹背(和魂洋才)することにして、日本人は白人の仮面を被りました(脱亜入欧)。そして、いつかそのうち攘夷を実現するために今のところは仕方なく欧米に服従するという矛盾を抱えながら近代化を進めたのです。富国強兵(攘夷)と文明開化(開国)はその矛盾の表れです。

 その後、日露戦争に勝った日本は欧米から「白人クラブに入れてやる」と認められて不平等条約の改定を達成しました。外的自己は現実の適応に成功したのです。日本人はこの近代化すなわち欧米化の成功体験から明治維新を誇りに思ったり、「名誉白人」と呼ばれて嬉しがったりしました。

 しかし内的自己は外的自己が成功すればするほど傷つけられます。また白人は本心では白人の振りをしている日本人を馬鹿にしていて、日本人もそのことに薄々気づいています。だから日本人は欧米化の成功に満足すると同時に不満を感じています。

 そして日露戦争後、日米は満州利権をめぐって徐々に対立しはじめ、満州事変に至って敵対するようになります。……

以下全文は本誌7月号をお読みください。