北朝鮮に沖縄米軍基地の抑止力は効かない
北朝鮮が事実上の弾道ミサイル発射を予告したことを受け、PAC3が沖縄県の先島諸島などに配備されることになりました。北朝鮮の行為は日本国民の安全を脅かすものであり、日本政府は国際社会と協調して北朝鮮に強い姿勢で臨む必要があります。
しかし同時に、見落としてはならない点があります。北朝鮮の通知によれば、弾道ミサイルは先島諸島沖を通過する可能性があると言われています(2月3日付読売新聞)。北朝鮮は沖縄に米軍基地があることをわかった上で、沖縄上空を通過させようとしているわけですから、果して沖縄米軍基地の抑止力は機能していると言えるのでしょうか。
これに対しては「沖縄に米軍基地があるからこの程度で済んだのだ」という批判があります。2010年に尖閣諸島周辺で中国漁船と海上保安庁の巡視船が衝突した際も、同じような主張が行われていました。
しかし、問題はアメリカがどう捉えるかです。例えば、元アメリカ国防次官補のジョセフ・ナイは沖縄米軍基地について、以前から「固定化された基地は現在でも価値はあるが、中国の弾道ミサイル能力向上に伴って、その脆弱性を認識する必要が出てきた。卵を一つのかごに入れれば、(全て)壊れるリスクが増す」と述べ(2014年12月9日付琉球新報)、普天間基地の県内移設は長期的には解決策にならないという見方を示しています。
もちろんこれは北朝鮮の弾道ミサイルについても言える話です。アメリカは沖縄米軍基地に抑止力があろうがなかろうが、自らの安全のために沖縄米軍基地を県外移設(本土移設)か国外移設させる可能性もあります。
国外移設論は結果として沖縄に負担を強いている
もっとも、この県外移設(本土移設)に対しては、日本の左派の人々から強い批判があります。反戦平和という観点に基づけば、米軍基地が沖縄から本土に移るだけでは意味がないからです。
しかし、彼らがそのような主張を続けている間にも、沖縄では米軍の事故が起こり、人権侵害が行われています。自らの思想やイデオロギーに拘り国外移設を主張することが、結果として沖縄に負担を強いることに繋がっているという事実を否定することは困難です。
この点については、東京大学教授の高橋哲哉氏が『沖縄の米軍基地』(集英社新書)で優れた分析を行っています。高橋氏は沖縄米軍基地の国外移設論を批判し、米軍基地を本土で引き受けるべきだと主張しています。
……日本の反戦平和運動は、米軍基地について「沖縄にいらないものは日本のどこにもいらない」というスローガンを掲げてきた。反戦平和の観点からは当然の主張であり、文句のつけようがないように見える。
しかしこのスローガンは、県外移設を求める沖縄の側から見れば、「本土」の側の県外移設拒否宣言に聞こえる。実際、反戦平和運動は、「沖縄にいらない」米軍基地は「日本のどこにもいらない」のだから、「本土」のどこにも移設すべきではないとして、県外移設に冷淡な立場をとってきた。その結果、「本土」には許容できる地域がないから県外移設はできないという政府の立場に、またしても近づいてしまうのだ。
「沖縄にいらないものは日本のどこにもいらない」として県外移設を拒み続けるならば、反戦平和運動にとって本当に大事なものは何なのか、という疑念にさらされることになるだろう。それは、沖縄に強いられてきた不平等の解消ではなく、何十年も実現できなかった(そして当面実現の見通しの立たない)自分たちの主義主張を維持することだけではないのか。「沖縄との連帯」を掲げながら、日本の運動は、沖縄の運動、反基地感情、平和思想などを利用してきただけではないのか。
空想的国外移設論から現実的国外移設論へ
これは自主防衛派、対米自立派にも言えることです。自主防衛派や対米自立派の多くもまた、県外移設(本土移設)では問題の解決にならないとして、国外移設を掲げてきました。
しかし、それは結果として、自らの思想やイデオロギーのために沖縄に負担を強いてきたと言えないでしょうか。本当に沖縄の人々の負担を軽減しようと考えるのであれば、思想やイデオロギーを捻じ曲げてでも、沖縄米軍基地の本土引き受けを検討すべきです。
もちろん、一度本土に引き受けた上で、そこから再び国外移設を進めていけばいいわけですから、決して国外移設の旗を降ろしたことにはなりません。残念ながら米軍基地を一気に国外に移設することは困難ですが、段階的に国外に移設するのであれば可能性はあると思います。今必要なのは空想的国外移設論ではなく、現実的国外移設論、段階的国外移設論です。
高橋氏の『沖縄の米軍基地』にはその他にも参考になる部分がたくさんあります。保守派の中には高橋氏の『靖国問題』(ちくま新書)に対して批判的な人が多いと思いますが、沖縄の負担を軽減するためには思想やイデオロギーを越える覚悟が必要です。たとえ他の部分で見解が違っても、共闘できる部分では共闘していくべきです。それはまさに現在の沖縄が試みていることでもあります。(YN)