【書評】 ディスコルシ――「ローマ史」論

 マキァヴェリズムと言えば、一般的に、目的は手段を正当化すると言わんばかりに、権謀術数の限りを尽くす政治手法のことを指すが、これはチェーザレ・ボルジアを一つの君主の理想像として描いた『君主論』に由来する言葉であって、マキァヴェッリ本人がそのような性格だったわけではない。
 マキァヴェッリはフィレンツェ共和国の中堅官僚で、熱心に実務に励んできたものの、政権交代にともなう権力闘争に巻き込まれ、職を失い、田舎の山荘に引きこまなければならなかった。こうして現役を退いてから、マキァヴェッリの執筆活動は始まった。『君主論』に次いで書かれたのが本書『ディスコルシ』である。
 マキァヴェッリの著作を読む時、注意しておきたいのは、これは彼が失職してから書かれたこと、そして、彼が仕えたフィレンツェはかつての栄光も薄れ、新興のヨーロッパ絶対主義諸国家によってその地位を奪われようとしていた、まさに祖国の没落を目の前にして書かれたということだ。
 『君主論』があれほど過激に強い指導者像を描いたのも、フィレンツェにチェーザレのような、共和制を乗り越えるような指導者が現れなければ、没落はまぬがれえないという危機感のゆえである。
 『ディスコルシ』では、危機感は同じであるが、それは切迫した思いというよりは、隠遁者特有の暗く沈んだ眼差しに満ちている。
 本書冒頭では、人間集団が生み出す政治形態を六つに分ける。そのうち三つは良いもので、残りの三つは、良かったはずの三つが堕落した形式である。君主政、貴族政、民衆政の三つはそれぞれ堕落すると、僭主政、寡頭制、衆愚政となる。それぞれに欠点があり、前者三つは寿命が短く、後者は本質的に邪悪なのだという。そして、君主政が僭主政に陥ることから貴族政が生まれ、それが腐敗して民衆政が生じ、衆愚政に堕落しきったところで、強い指導者による君主政が求められるという循環する歴史観が示される。
 もとより、これはマキァヴェッリの創案でもなんでもなく、古くはトゥキディデスにまでさかのぼることができる考え方ではある。だが本書でマキァヴェッリは実際のローマ史を検討しながら、循環する政治体制という歴史観を確認しつつ、それぞれの時代、なぜ失敗したのか、あるいはなぜ成功したのか、個別に分析を重ねていく。
 そして、それは単なる歴史研究に終わることなく、マキァヴェッリ自信が体験した直近の出来事に引き寄せて吟味される。すなわち、マキァヴェッリは歴史を反復としてとらえており、今起きている出来事のひな形を過去に求め、現在を理解する道具としているわけだ。
「現在や過去の出来事を考えあわせる人にとって、すべての都市や人民の間で見られるように、人びとの欲望や性分は、いつの時代でも同じものだということが、たやすく理解できる。したがって、過去の事情を丹念に検討しようとする人びとにとっては、どんな国家でもその将来に起こりそうなことを予見して、古代の人びとに用いられた打開策を適用するのはたやすいことである。また、ぴったりの先例がなくても、その事件に似たような先例から新手の方法を打ち出すこともできないことではない。
 ところが、こういった教訓は、一般の読者には無視されるか、理解されなかったりするものである。たとえ理解されたところで、今度は政治の当事者には知られないというわけで、いつの時代にも同じ騒ぎを繰り返すのがおちである」(182~183頁)
 マキァヴェッリの予想した通り、彼が歴史から引き出した知恵は活かされることなく、フィレンツェは衰亡し、歴史の表舞台から消えていった。願わくは、わが国の為政者は歴史から教訓を得るだけの知性を持つと願いたい。本来は、『弱体の共和国はぐずぐずして何ごとも決めかねるものである。たとえ何らかの方針を打ち出したとしても、自分で決めたというよりは、必要に迫られてのことにすぎない』という一章など、わが国のこととして読み取ることができる。そこではマキァヴェッリが自ら目撃した、フィレンツェの愚かな振る舞いを報告している。フィレンツェ人はその優柔不断さのために、フランス王の援助というチャンスを逃してしまい、死活的に重要な都市ピサ獲得に失敗してしまうのである。「このような優柔不断な態度が、何か強力な圧力で押しつぶされない限り、その国家はいつまでも宙ぶらりんで右往左往し続けるであろう」と苦い思いでマキァヴェッリは記している。  (副編集長 尾崎秀英)