片山杜秀 思想性を回復できなかった戦後の右派

靖国神社宮司の驚くべき発言

 『週刊ポスト』(10月12・19日号)に驚くべき記事が掲載されています。今年3月に第12代靖国神社宮司に就任した小堀邦夫氏が、靖国神社の社務所会議室で行なわれた「第1回教学研究委員会定例会議」で、「陛下が一生懸命、慰霊の旅をすればするほど靖国神社は遠ざかっていくんだよ」、「はっきり言えば、今上陛下は靖国神社を潰そうとしてるんだよ」などと発言したというのです。編集部は音声データもネットに公開しています。

 小堀宮司からすれば、今上天皇のあり方は天皇のあるべき姿にふさわしくないということになるのかもしれません。思えば今上天皇が「おことば」を出されたときも、日本会議をはじめ右派と呼ばれる人たちから批判が出ました。つまり、右派はそれぞれ自分なりの天皇像を抱いているということです。

 しかし、そうなると、いくつか問題が生じてしまうと思います。ここでは弊誌2018年2月号に掲載した、慶應義塾大学教授の片山杜秀氏のインタビューを紹介します。全文は2月号をご覧ください。

バラエティに富んだ戦前の天皇像

―― 日本会議のように右派が自分なりの天皇像を抱いているとすれば、右派の数だけ様々な天皇像が生まれる可能性があります。

片山 それは戦前から見られることです。北一輝の考えている天皇と、大川周明の考えている天皇と、橘孝三郎の考えていると天皇と、権藤成卿の考えている天皇は、天皇が重要な存在であるという点では一致していますが、それぞれ違いがあります。

 戦前に多くの天皇像が生まれたのは、日本が急速に近代化したこと、しかもその近代化が天皇中心を大前提とする王政復古の維新政府によって行われたことと関係しています。身分制度の廃止や、第一次産業から第二次産業、第三次産業への移行など、現在の我々が当たり前だと思っている日本の姿は、かなり強引に速成的に作られました。

 速成で作られたがゆえに、そこにはひずみも生じました。士族たちは誇りを傷つけられて反乱を起こし、第一次産業には大きな犠牲が強いられました。そのため、いまの日本の姿は明治維新が目指した姿とは違うのではないかという考えが出てきたのです。天皇の名と力によって行われる維新という名の日本流の近代化がうまくいっていないとすれば、ラディカルな革命を目指す立場の人々の対応は次の二つになります。天皇を除いてやり直すか、天皇の価値を再設定してやり直すかです。前者は左翼革命派になり、後者は右翼革命派になります。

 たとえば、近代化によって豊葦原瑞穂国の理想が軽視されたと考える右派は、農本主義的な天皇像を掲げました。天皇陛下の思し召しは一君万民思想で国民は等しく皇恩を受けて貧富の差など開いてはおかしいのに、財閥のように一部の人たちだけが豊かになっているのはおかしいと考えた右派は、国家社会主義的、国民社会主義的な天皇像を抱くようになりました。もっと軍隊を強くして東洋から西洋を追い出してこそ真の維新が実現すると考えた右派は、極端に軍国主義的な天皇像を理想としました。つまり、維新が実現しそこねている真の日本をどこに見出すかによって、右翼革命の目指すユートピアの数だけ天皇像が生まれたということです。

―― 戦前の天皇は神聖不可侵な存在とされました。神聖なものは人間的なものから隔絶されているはずです。しかし、天皇について様々な解釈を行うとなると、人間的なものが介入できるということになり、神聖とは言えなくなってしまうのではないでしょうか。

片山 確かに戦前の天皇は神の血を受け継ぎ、自らも神であるとされました。基本的には超越的な存在として、国民とは別次元にいると考えられていました。しかし同時に、天皇は生々しい身体も持ち、人間しての性格も有しています。現人神とされたゆえんです。

 また、天皇は神話時代から数えると100代以上も続いてきました。その間には様々な天皇が様々なことを行ってきました。農業を大切にした天皇もいれば、軍事力を大切にした天皇もいました。だから、右派が抱くそれぞれの天皇像は、自分勝手に作り上げたものではなく、過去の天皇とある部分で必ず結びついているのです。

 もちろん右派の抱く天皇像が明治国家の規範から逸脱した場合、北一輝のように処刑されてしまうこともありました。しかし、キリスト教のように正統と異端を決めてこなかったので、様々な解釈を行う余地が構造的に残されているのです。……

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