安倍政権こそ平和ボケだ

緊張が高まる南スーダン

 南スーダンで緊張が高まっています。南スーダンを視察した国連人権専門家調査団のメンバーによれば、「民族間の緊張と暴力が、全土で前例のないレベルに達している」ということのようです(12月1日付朝日新聞)。

 南スーダンでは陸上自衛隊がPKO(国連平和維持活動)に参加しており、12月12日からは「駆けつけ警護」も実施されます。そうなれば、自衛隊も当然危険にさらされます。場合によっては自衛隊員の方々が命を落としてしまう可能性も否定できません。

 しかし、安倍政権が果たしてその危険性について真剣に検討しているのか、疑問に思わざるを得ません。自衛隊を危険な地域に派遣しても大丈夫だと思っているならば、それこそ「平和ボケ」でしょう。

 ここでは、弊誌2015年11月号に掲載した伊勢﨑賢治氏のインタビューを紹介したいと思います。(YN)

自衛官を拷問してもいい?

―― それでも政府は安保法に基づいて武器使用基準を緩和し、来春から南スーダンの自衛隊に「駆けつけ警護」を可能にする方針です。実際、自衛隊は「駆けつけ警護」の訓練を始めています。自衛隊はどうなってしまうのでしょうか。

伊勢﨑 自衛隊はPKF(国連平和維持軍)の一員ですから、PKFが武装勢力と交戦状態になった瞬間から、自衛隊を含むPKFと武装勢力は「交戦主体」になって、お互い「合法的な攻撃目標」になります。もちろん自衛隊が「駆けつけ警護」で発砲してもそうなりますし、たとえ基地でデスクワークしていただけでもそうなります。

 それでは具体的にどうなるか。たとえば自衛隊が道路建設をしているところに、武装勢力に襲われている住民が逃げてきたら、自衛隊は自分たちが攻撃されていなくても、つまり正当防衛でなくても武装勢力に発砲しなければならない。しかし、自衛官はどんな選択肢を選んでも苦境に立たされます。

 まず戦闘状態になっても、憲法の制約から自衛官は「交戦権」、つまり「敵を殺す権利」を持っていません。「交戦権なき交戦主体」という矛盾した存在になっている。それに対して武装勢力は「交戦主体」として「敵を殺す権利」を持っています。だから自衛官は武装勢力と対等ですらなく、非常に危険です。

 そしていざ敵を殺した場合、日本国内で激しい拒絶反応とともに憲法違反という問題が起きて、自衛隊が非難にさらされる恐れがあります。かといって敵を殺さなかった場合は、「住民保護」という責任を放棄したことが国連的に問題になります。

 それでは誤って民間人を殺してしまった場合はどうなるか。国連は南スーダンと軍事協定を結んで、訴追免除などの特権を取り付けていますから、現地の法律で裁かれることはありません。また国連も過失を犯した兵士を裁く仕組みを持っていません。こういう場合、各国は軍事法廷を持っているので、「貴国よりも厳しい軍法で、ちゃんと迅速に審判しますから、許してくださいね」という対応で何とか事態を収めるのです。

 ところが、日本には軍法がありません。そうすると「そんな無責任なことがあるか!」ということで、国連や南スーダンと深刻な外交問題になります。日本の法治国家としての信頼は地に落ちる。当然ながら住民感情は悪化し、「国連は出て行け!」という反対気運が高まりかねず、南スーダン政府も激しく抗議するでしょう。PKO全体にとっても致命的な事態になります。

 2007年にイラクでアメリカの民間軍事会社ブラックウォーターの社員が17人の民間人を殺したという事件がありました。彼らはイラクから訴追免除を受けていましたが、アメリカの軍法は適用されないということで大問題になりました。これは他人事ではなく、自衛隊の宙ぶらりんな法的地位はブラックウォーターと同じようなものなのです。

 逆に敵に捕まってしまった場合はどうでしょう。ジュネーブ諸条約は「捕虜の保護」などを規定していますが、岸田外務大臣は7月1日に「日本が紛争当事国にならない場合、自衛隊員がジュネーブ諸条約上の捕虜となることは想定されない」と国会答弁しています。

 数年前、アメリカがグアンタナモ基地でタリバンやアルカイダの要員を拷問していることが問題になりましたが、アメリカは「捕虜ではない」と言って拷問を正当化していました。だから岸田外務大臣の答弁は「自衛官を捕まえたら、グアンタナモと同じ扱いをしてもいいですよ」と言っているようなものなのです。仮に自衛官を拷問した犯人を捕まえ、国際法廷で裁判になっても、日本側は国際法違反だと主張できません。

 そして自分が殺されてしまった場合、戦死ではなく単なる公務災害として扱われるしかない。そもそも南スーダンPKOは政府が場当たり的に始めたものであり、大義があるとは言い難い以上、尊い犠牲、名誉の死とは言えないかもしれない。

 つまり自衛官はどうなるか分からないのです。政府は「諸君が民間人を殺そうが、敵に捕まって拷問されようが、殺されようが、一切責任は取らん。だが、せっかく安保法を作ったから駆けつけ警護はやらせる。個人の責任で判断して撃て」と言っているに等しい。自衛官は政治的にも法的にも「撃ちにくい銃」を持たされて、全て自分で決断するしかない。日本は国家の責任を自衛官個人に押し付けているのです。