矛盾だらけの日本会議

櫻井氏や百地氏に尊皇精神はあるか

 日本会議と関係の深い櫻井よしこ氏は、天皇陛下の生前退位(譲位)について「基本的に譲位に代わる摂政か、そのほかの道を探るのがよい」と述べています。また、同じく日本会議と関係の深い百地章氏は、「憲法が天皇の政治への関与を禁じている中で、陛下の言葉や考えそのままに政治が動いていいのかという疑問がある」(8月9日付沖縄タイムス)と述べています。このように、日本会議関係者たちは天皇陛下の「おことば」に対して批判的な発言を繰り返しています。

 しかし、これは必ずしも日本会議自身の主張というわけではありません。実際、日本会議会長の田久保忠衛氏は7月13日に日本外国特派員協会で行った記者会見で、天皇陛下のご発言はどのようなものであれ全て肯定するような姿勢を示しています。これこそ尊皇精神のあるべき姿ではないかと思います。しかし、そうであれば、櫻井氏や百地氏に果たして尊皇精神があるのか、疑問に思わざるを得ません。

 このように日本会議には様々な意見を持つ人たちが集まっており、主張に一貫性がありません。一般的に、一貫性のない主張を繰り返せば、そのような主張に惹きつけられる人は少なくなります。しかし、日本会議の場合は、主張に一貫性がないにもかかわらず、一定の影響力を保持しています。とすれば、日本会議がそれなりに影響力を持つ理由は主義主張以外のところにあると考えるべきです。それは一つには、日本会議の持つ官僚機構のためでしょう。

 ここでは、弊誌8月号に掲載した、菅野完氏と白井聡氏の対談を紹介したいと思います。なお、菅野氏と白井氏の対談も収録した新著『日本会議をめぐる四つの対話』を、12月11日に弊社より出版予定です。ご一読いただければ幸いです。また、12月9日には本書出版を記念して渋谷のLOFT9でイベントを開催いたします。是非ともご参加ください。(YN)

本会議を語り尽くす



日本会議の強さの源泉は何か

白井 菅野さんが「ハーバービジネスオンライン」で日本会議について連載されていた当時から注目して読ませていただいていました。私も「日本会議というものが何か凄いらしい」という話は聞いていましたが、日本会議について知りたくても、日本会議の中にまで入ってその実態を論じたものはありませんでした。菅野さんはまさにその先鞭をつけられたということで、大変意義のあるお仕事をされたと思います。

 『日本会議の研究』で一番印象深かったのは、日本会議の強さの源泉は事務処理能力の高さだとされていたところです。それは凄く納得がいきました。

 これは私がある市民団体で講演した時のことですが、講演が終わった後、主催者が「カンパをお願いします」と言ってカンパ袋を回していました。それについて、参加者の一人がブログで批判していたんです。「カンパ袋が回ってきたが、集めたお金をどのように使うのか主催者から一切説明がなかった。非常に不愉快だった」と。

 私は、これにはハッとさせられて正論だなと思ったんです。カンパを集めるのであれば、本来ならば会計報告をする義務が生じるはずです。ところが、主催者はいつものことだからということで、何の説明もしなかった。それは、彼らが運動の内部の人たちしか見ていないからです。インナーサークルに向けては、どういう風に集めた金を使うのか、大体わかりきっているので説明する必要もないでしょう。しかし、外から来た人に対しては違う。本来ならば、初めて来たお客さんがたった一人でもいたら、説明しなきゃならない。説明しなくても問題ないと思っているということは、つまり、外部から新しいお客さんを連れてくる気がないんですよ。この一件を通して、左派リベラルの運動がほとんど無自覚的に閉鎖的になっていて、組織的な面で問題があることに気づかされました。これでは拡大しようがない、と。

 これは3・11以降の社会運動を見る上で重要な問題だと思うんです。この間、安倍内閣をストップしなければならないということで、左派やリベラル、あるいは保守系の人たちまで声を上げてきましたよね。けれども、今回の参議院選挙でも結局、改憲勢力に3分の2の議席を取らせないことが勝敗ラインになりました。これほど社会運動が盛り上がっているのに、なぜこういうことになるかと言えば、その理由の一端は、運動の潜在力を十分にオーガナイズできていないことだと思うんですね。

菅野 おっしゃる通りだと思います。その点、日本会議を取り仕切っている日本青年協議会(日青協)の事務処理能力の高さというのは、ちょっと異次元のレベルです。

 日青協は運動を始めた当初より、ビジネス用語で言うところのゴーイングコンサーン(*企業が将来にわたって永遠に事業を継続するという前提)をずっと考えてきました。これが他の市民団体との特筆すべき違いです。彼らは本当にやりたいことを達成するために、まずはゴーイングコンサーンを確保しなければならないという認識を持っていた。だから組織力をつけ、事務処理能力を高めてきたわけです。

 それで、今、日青協がゴーイングコンサーンを確保するために狙っているのは、世代交代なんですよ。日本会議事務総長で日青協会長でもある椛島有三さんは自分の子供にポストを与え、世襲を狙っています。だから、椛島さんが死んでも日青協は残るでしょう。彼のノウハウが受け継がれるかどうかは甚だ疑問ですけど、組織は残るはずです。

白井 その際に「それは世襲じゃないか」と批判しても、彼らは別に民主主義を掲げているわけでもないから何の問題もないということになるわけですね。

菅野 そうなんです。そこまでしてゴーイングコンサーンを確保しようとしているのは凄いなと思いますね。

日本会議の運動にはお金がかからない

白井 左派リベラル運動の組織力について言うと、それは結局のところ労働組合頼りだったと思うんです。共産党系は別として、全日本自治団体労働組合(自治労)、それから日本教職員組合(日教組)などですね。新安保法制反対運動も、自治労の大幹部だった人たちなどが中心となって組織していました。

 しかし、それでは運動の末端レベルまで組織されてポテンシャルをフル活用できていたかと言うと、難しいところがあります。先ほど言ったように、小さな集会におけるお金の集め方のマナー一つとっても、組織的な脆弱さというものを露呈してしまっています。こういう状況が日本会議的なるものの影響力の極大化を許しちゃっているんだろうなと思うんです。

菅野 おっしゃるように、今辛うじて頑張っている労組と言えば、官公労と日教組ですよね。しかし、彼らは公務員労組だから生き残れたんであって、他の労組や市民団体は高齢化と不況のせいで立ち行かなくなってしまっています。そういう意味では、僕は日本会議が大きくなった、日青協が強くなったというよりも、他の団体が弱くなったということだと思うんです。

 実際、「九条の会」のHPなどを見ると愕然としますよね。トップページに9人の発起人の写真が並んでいますけど、ほとんど物故者名簿じゃないですか。九条の会の関係者に話を聞くと、あの9人の写真を変えるつもりはないし、発起人名簿から外すつもりもないと言うんです。僕は彼らのセンスの悪さを批判しているのではなく、ちょっと権威主義的だと思うんですよ。

白井 こんなに偉い先生方が9条を守ると言っていたんだということを示したいわけですね。

菅野 片や、日本会議は全然権威主義的じゃないんですよ。特に権威があるわけでもない舞の海に憲法論を語らせたりしていますから。白井さんは左派リベラルが閉鎖的になっていると言われましたけど、日本会議には新しい人が入ってきやすい雰囲気があるんです。現に、彼らの集会には若い人から年寄りまで新しい人がどんどん来ています。間口が本当に広いんですよ。