西部邁 なぜ日本は米国の属国になったのか

日本の属国化は完成した

―― 安倍首相の訪米、日米ガイドライン、TPPなど、戦後70年の日米関係は新局面を迎えています。一連の動きをどう見ていますか。

西部 100パーセント絶望している。戦後レジームからの脱却を唱えていた安倍首相の訪米によって、日本の属国化あるいは保護領化は完成したわけですから。事実上の属国は名実共に完全なる属国と化した。ポイント・オブ・ノーリターンを超えた以上、もはや独立の道に戻ることはできないでしょう。以後、日本は属国という隘路をひたすら突き進むほかないのです。

 安倍首相は「日米は自由と民主主義という価値観を同じくする同盟国だ」と宣言し、日米ガイドライン、TPPを進めていますが、これは結局のところ、日本が思想的・政治的・軍事的・経済的にアメリカに組みこまれて一体化するということにしかなりません。戦後一貫して進められたアメリカナイゼーション、つまり自由・民主の内容がその国の歴史に依存するということを無視するやり方の完成ということになります。

 日米ガイドラインが改定されましたが、日本は独自の国家戦略を放棄しておりますので、自衛隊は米軍の補助部隊に成り下がる以外にない。しかしアメリカという国は、ベトナム戦争からイラク戦争、ウクライナ戦争に至るまで、国際法の強引な解釈のもとで手前勝手に他国を蹂躙してきた侵略者という性格を帯びている。侵略というのは、自国の覇権を拡大するという国家意志をもって先制的武力を行使するという意味ですが、これらは紛うことなき侵略戦争だったのです。ゆえに、「アメリカの戦争に巻き込まれるのではないか」という左翼方面の意見は真っ当な懸念といえます。

 そもそも属国日本の完成が時間の問題だということは、前から分かり切っていたことです。だが、それでも日本人は「自分の国は自分で守る」という独立国の最低条件すら満たそうとしてはこなかった。だから中国が核武装した時点で日本も核武装すべきか、あるいは中国の軍事費が年々倍増していると分かった時点で日本も国防費を増やすべきか、国民の国防意識を高めるため徴兵制を敷くべきかという議論が起きて然るべきだったが、そんなものは一切ありはしなかった。

 そして、いざ中国が東シナ海、南シナ海で覇権主義的に振る舞うようになると慌てふためいた。ところが、制度的にも精神的にも自主防衛体制すら築けていなかったために、アメリカの軍事力を当てにし、米軍を抑止力とする、というまさに保護領に特有の選択しかできなかったわけです。

 この期に及んでも、大多数の日本人は「自分で自分の国を守る気など更々ないが、侵略はされたくない」といった程度にとどまっているんです。だからアメリカ様に頼っときゃいいという魂胆なんでしょう。奴隷根性以外の何物でもないが、それすらを自覚していない有様です。そしてアメリカの労を煩わせた代償に、「アメリカ様、沖縄を好きにしていいです、TPPで日本の国富を食い荒らしていいです、ガイドラインで自衛隊を使い捨てていいです、どうぞどうぞ」というわけです。しかもそれを恥ずかしいとも思わない、屈辱とも思わないのだから、奴隷根性もここまでくれば筋金入りです。だから私は自虐の念を込めてわが同胞を「ジャップ」と呼ぶのです。いや、この人々は日本人ではなく「ニッポンジン」だということにしておきましょうか。

天皇の「沖縄メッセージ」には何の問題もない

―― そのような問題が、いま沖縄で噴出しています。

西部 私は沖縄にほぼ100パーセント同情している。ちょうど70年前の今日、沖縄は地上戦の真っ最中だ。ウチナンチュは千言万語を尽くしても語り得ない壮絶な死闘を繰り広げて、沖縄県民の4人に1人が犠牲になりました。その姿に心打たれたからこそ、大田実海軍中将は「沖縄県民斯ク戦ヘリ 後世格別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電して自決したのです。

 ところが、口角泡を飛ばして本土決戦を叫んでいたヤマトンチュはピカドンに腰を抜かして白旗を揚げて、戦争が終わったかと思えば、そのままウチナンチュに米軍基地を押しつけて金儲けに現を抜かした。1972年に沖縄が本土復帰したところで状況は何も変わらなかった。昭和天皇は沖縄行幸を切望していたが、政府も国民もそれを理解するような精神は持ち合わせていなかった。それどころか戦後70年、本土復帰後40年を経て、今度は「普天間基地は辺野古に移設しろ」と言って、沖縄に更なる負担をかけようとしている有様です。

 安倍首相にしろ菅官房長官にしろ「辺野古移設が唯一の解決策」という唯一のセリフをオウム返しするだけで、なぜ唯一の解決策なのかは一切説明しない。結局、政府は七面倒くさい日米交渉でやっと決まった合意を変えたくないから行政力でゴリ押ししているだけとしか思われません。とはいえ、まさかそんな本音を言うわけにはいかないから、方便として「唯一」と言っているにすぎず、その意味は「問答無用」に他ならないのです。こんなものは政治でも軍事でもありはしない。……

以下全文は本誌6月号でお読みください。