日本会議が転向した理由
日本会議は様々な意見を持つ人たちの集合体であり、よく言えば民主的、悪く言えば統一性がありません。日本会議の統一性のなさは、過去の主張を振り返ればよくわかります。彼らはかつては「YP体制打破」を掲げていました。YP体制とはヤルタ・ポツダム体制のことで、要するにアメリカを中心とする戦勝国によって作られた戦後秩序の打破を訴えていたのです。
しかし、彼らは今ではYP体制打破とは主張していません。それどころか、日本会議関係者の中には、TPPや集団的自衛権の問題などで、アメリカに追従するような動きを見せていた人たちもいました。
なぜ日本会議は反米から従米に転向したのでしょうか。それには複合的な理由があるのでしょうが、結局のところ彼らは体制に順応しただけだと思います。つまり、日本政府や日本社会が従米的になったため、彼らもまた従米的になったということです。
もっとも、日本がいつまでも従米的でいられるかはわかりません。アメリカの次期大統領に選ばれたトランプは、選挙期間中、日本に在日米軍の負担増を求めるなど、日本に批判的な態度を示していました。果たして日本会議はトランプ政権にも追従するのかどうか、注目したいところです。
ここでは、弊誌10月号に掲載した、菅野完氏と横山孝平氏の対談を紹介したいと思います。なお、菅野氏と横山氏の対談も収録した新著『日本会議をめぐる四つの対話』を、12月11日に弊社より出版予定です。ご一読いただければ幸いです。また、12月9日には本書出版を記念して渋谷のLOFT9でイベントを開催いたします。是非ともご参加ください。(YN)
靖国神社を私物化する日本会議
菅野 その軽い安倍政権の先棒を担いでいる人たちを見ていくと、やっぱり日本会議の関係者が多いんです。しかし、先ほども述べたように、日本会議はかつてYP体制打破を唱えていましたが、今ではYP体制を内面化してしまっているようにしか見えません。彼らは自分たちの中でその変節をどのように納得しているのか、よくわかりません。
横山 それはある種、日本人のメンタリティだと思います。戦後の日本はアメリカに軍事力を委ねることで経済発展してきました。その経済発展も、親方日の丸という体質があったわけですよね。つまり、戦後の日本では、体制の中に組み込まれてさえいれば生きてこられたんですよ。
菅野 体制に順応さえしていればよかったということですね。
横山 そうです。だから日本会議の人たちも、彼らは体制の中に組み込まれてそれらしいことを言っているにすぎないんだけれど、まるで自分たちに力があるかのように勘違いしてしまっているんでしょう。
僕はそれを今年の8月15日に実感したんです。僕は8月15日に靖国神社にお参りをした後、仲間たちと茶店でお茶を飲んでいました。それで、帰ろうと参道を歩いていた時に、「青年フォーラム」というイベントが始まったんです。すると、それに関わっている人たちから、「そこをどいて向こうを歩いて」と言われたんですよ。
菅野 日本青年協議会が主催しているイベントですね。彼らは毎年、参道の真ん中を占拠してイベントを行っているので、一般の参拝者たちが参道を歩けなくなっています。おっしゃるように、そこで立ち止まろうものなら、「動いて」と怒鳴りつけてくる始末です。
横山 僕の中では、袞竜の袖に隠れてと言うか、特権を振りかざしているようにしか見えませんでした。ご遺族の方々の中には高齢のため車いすで来られている方もいるのに、そうした中でああいう振る舞いをすることについて、彼らは何とも思っていないんでしょうね。
菅野 そうだと思います。彼らは靖国神社を私物化しているんですよ。実際、8月15日に靖国神社の境内で物販しているのは、茶店や靖国神社付随の施設以外では、おそらく日本会議だけです。彼らは自分たちの機関誌や出版物を当然のように売っていますからね。彼らの態度を見ていると、一体何のために来ているのかわかりません。