【書評】 不愉快な現実

 今日、我々の生きる時代は帝国主義の様相を呈してきている。多くの国において景気が悪化し、人口が減少している中(中国も少子高齢化が急速に進んでいる)、数限られたパイの分捕り合いが繰り広げられている。世界各国は移民を増やして労働力を確保し、あるいは地域共同体を形成して資源や技術を囲い込もうとしている。EUやASEAN、ユーラシア共同体、そしてTPP、これらは全てそうした思惑に基づくものである。
 帝国主義時代を勝ち抜くためにはリアリズム的思考が必要となる。しかし、日本で外交や安全保障を論じたものにはその視点が欠落している。本書の著者はそう指摘する。彼らは「不愉快な現実」から目を背け、日本のおかれた外的情勢を客観的に分析しようとしない。
 たとえば、日本の大多数は「中国は米国を追い越せない」と考えているが、米国の世論調査機関PEWが行ったアンケートによれば、2009年の時点で、英・仏・独ら欧州諸国は「中国は米国を追い抜く」と見なしていた。2011年には、米国自身もそう考え始めるようになった(本書20頁)。
 実際、中国は急速に軍事力を増強しており、現時点における中国の軍事費は日本の三倍近くに達する(126頁)。また、昨年末には、中国海軍はついに空母を手に入れた。それゆえ、尖閣諸島近辺で日中間の軍事衝突が起こった場合、日本が勝つシナリオはない(130頁)。

 それでは、台頭する中国を前にして、日本はいかに立ち回るべきか。リアリズムから導かれる結論はただ一つである。米国に追従する、すなわちTPPに参加することである。
 しかし、この選択肢の効力は失われつつある。米国にとって中国こそが東アジアで最も重要な国となりつつあるため(9頁)、中国が尖閣諸島を占領しても米軍が出てこない可能性もあるからだ(134頁)。
 また、たとえリアリズムに基づき米国に追従することを選択したとしても、それは必ず事大主義に堕する。実際、我々には前例がある。
 冷戦時代、吉田茂が西側陣営に与することを選択したのは、米国に強制されたからだけではなく、それが日本の国益に適うと判断したからだ。米国に追従しながらも米国の再軍備要求を頑なに拒んだ吉田の行動から、そのリアリズムを読み取ることができる。
 しかし、その吉田のリアリズムが結局事大主義に堕してしまったのは、米国が日本を守ってくれるかどうかをめぐって右往左往している今日の日本の状況を見れば明らかだろう。
 現実的に考えれば、一度失敗した方策は二度と通用しない。TPP参加は事大主義以外の何ものも意味しないのである。
 そもそも、TPPが日本の取るべき現実的な政策であると言うならば、米国より先に日本が主導してTPPを提唱すべきであったはずだ。
 TPP参加を肯定する人間の大半は、冷戦体質を脱却することができず、国際社会の変化から目を背ける現実肯定主義に陥っているにすぎない。それは単なる思考停止である。

 著者は米中関係の変化を踏まえ、日本は東アジアに複合的相互依存関係を構築し(256頁)、中国との関係を深化させるべきだと主張する。そのための条件として次の三点をあげている。
 ①紛争を避けたいという強い思いが存在していること
 ②領有権の問題よりも紛争回避が重要であるという認識があること
 ③複合的相互依存を進められる分野が多く存在していること
 しかし、著者も指摘するように、日中双方にこの戦略を受けいれる準備はできていない(258頁)。また、この条件であれば、むしろ日米間においての方が容易に達成できるように思われる。
 そもそも、手を結ぶ相手を単に米国から中国に変えるというだけでは、現在の日米関係が日中関係に変わるだけで、事大主義という点では何の変化もない。

 日本が米中間で事大主義に陥らずに生き残るためには、発想の転換が必要である。
 帝国主義的争いはパイの奪い合いであり、創造力を必要としない。石油の奪い合いをしている限り、石油に代わる資源を創造する必要などない。また、限られた量の分捕り合いという土俵で戦えば、最強国が勝つことは最初から決まっている。
 最強国ではない日本に必要なことは、自国にないものを他国から奪うという量の論理ではなく、自国にないものを創造するという質の論理である。
 日本が取るべき道、それは現在行われている帝国主義的争いから降りることではなかろうか。逆説的ではあるが、それによって初めて日本は帝国主義時代を勝ち抜くことができるように思われる。

(編集委員 中村友哉)