【書評】 自滅するアメリカ帝国

 恐らくそうなのだろうと考えていたことを、ズバリと言ってくれた。そんな爽快感を与えてくれる一冊である。著者の伊藤貫氏はアメリカ在住の戦略家で、アメリカ国務省や国防総省の官僚から入手した情報に基づいて重大な事実を暴露していく。
 一九八九年の冷戦終結に合わせて、ジェームズ・ファローズは「日本封じ込め」と題した論文を発表していた。当時、日本異質論者などと呼ばれた彼らの主張は日本でも注目されたが、アメリカ政府の考え方とは一線を画する異端者の論説として扱われていたように思う。
 ところが、伊藤氏は一九九〇年にブッシュ(父)政権のホワイトハウス国家安全保障会議が「冷戦後の日本を、国際政治におけるアメリカの潜在的な敵性国と定義し、今後、日本に対して封じ込めを実施する」という政策を決定していた事実を明らかにした。この事実を伊藤氏は、国務省と国防総省のアジア政策担当官、連邦議会の外交政策スタッフから聞いていたという。また、ペンタゴン付属の教育機関であるナショナル・ウォー・カレッジ(国立戦争大学)のポール・ゴドウィン副学長も、伊藤氏に「アメリカ政府は、日本を封じ込める政策を採用している」と明かしたという(57、58頁)。
 さらに、一九九二年二月一八日に作成された「一九九四~九九年のための国防プラン・ガイダンス」(DPG)というペンタゴンの機密文書には、「アメリカのアジア同盟国─特に日本─がより大きな地域的役割を担うことは、潜在的にこの地域を不安定化させる」と書かれていた。
 このDPGが主張する戦略の熱心な支持者が、クリントン政権で国防次官補を務めたジョセフ・ナイであった。伊藤氏は、ナイが政府内の外交政策に関する会議で、「日本を今後も自主防衛能力を持てない状態に留めておくために、アメリカは日米同盟を維持する必要がある。日本がアメリカに依存し続ける仕組みを作れば、我々はそのことを利用して、日本を脅しつけてアメリカにとって有利な軍事的・経済的要求を呑ませることができる」という対日政策を提唱していたと暴露する(63、64頁)。
 一九九〇年に米太平洋海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール中将が「日米安保条約は、日本を封じ込めるための瓶のフタ」と発言したが、まさにその線に沿った政策が採用されていたことになる。
 だが、アメリカのこうした戦略は巧みに隠されてきた。伊藤氏は、アメリカの対日政策の本音は、「敗戦国日本が真の独立国となることを阻止する。日本人から自主防衛能力を剥奪しておき、日本の外交政策・国防政策・経済政策をアメリカの国益にとって都合の良い方向へ操作していく」というものであるが、これを公式の場で表現する時は、「価値観を共有する日米両国の戦略的な互恵関係をより一層深化させて、国際公共財としての日米同盟を、地域の安定と世界平和のために活用していく」となると説明する(78頁)。
 つまり、国際公共財の提供という名のもとに、アメリカに依存せざるを得ない多数の〝家来〟と〝属国〟を創り出して、これら諸国の軍事政策・外交政策・経済政策を米政府がコントロールすることがアメリカの本音なのだ。
 伊藤氏は、こうした一極覇権路線は失敗してきたと言い切る。ブッシュ(息子)政権の〝世界に自由と民主主義を拡めるネオコン外交〟は、不必要な武力介入によって国際情勢を不安定化させ、多極化トレンドを加速化させただけであったと。
 ケナン、キッシンジャー、ウォルツといったリアリストは、一極覇権などそもそも無理だと主張していたのである。だが、「不思議なことに日本の保守系の新聞・雑誌は『アメリカで最も優秀な保守派の戦略家の多くが、米政府の一極覇権構想を厳しく批判している』という事実を伝えてこなかった」。
 ネオコンのウォルフォウィッツらは「アメリカによる長期的な世界支配と国際構造の一極化は可能である」という仮説を提唱し、日本の親米派も、これを鸚鵡返しに復唱してきた。
 これに対して、伊藤氏は①アメリカが他の八核武装国と戦争できないこと、②反米的な弱小国は非対称的・非正規的な戦争方法で抵抗し続けること、③アメリカは、現在の兵員規模の陸軍と海兵隊で世界の重要地域を支配することはできないこと、④財政状況が悪化していく中で、アメリカが現在の軍事支出を維持するのは不可能なこと──などを挙げ、この仮説は誤りだと主張する。
 そして、多極化する国際環境においては、日本が自主防衛能力を構築し、アメリカ以外の国とも同盟関係や協商関係の構築を進めていくことが不可避となると結論づけている。

(編集長 坪内隆彦)