影の支配者・電通

電通問題を総括する

 電通社員の過労自殺事件をめぐり、ようやく大手マスコミも電通を批判するようになりました。しかし、これまで電通批判はほとんど行われたことがないため、日本国民の多くは電通問題の本質がどこにあるのかが理解しづらいのではないかと思います。

 本誌1月号では、電通のこれまでのあり方を振り返りつつ、基本的な問題から掘り起こしました。ご一読いただければ幸いです。(YN)

電通を批判できなかったマスコミ

 2016年5月、東京五輪招致委員会がIOC(国際オリンピック委員会)の関係する口座に2億3000万円を送金していた事実が明らかになり、カネで五輪を買ったのではないかという疑惑が持ちあがった。この事件には電通が深く関与していたが、マスコミは電通の名前を伏せて報道していた。この裏金問題は有耶無耶になったままである。同年9月に英字紙の報道で発覚した電通の不正請求についても、日本のメディアはまともに追及しなかった。

 ようやく、電通の新入社員である高橋まつりさんが過労自殺したことをきっかけに、マスコミは同社の労働環境やパワハラ体質を報じるようになった。しかし、これまでごく一部を除き、マスコミが電通を批判的に取り上げることはなかったのである。

 国民に正しい情報を伝えることを阻害している電通という存在を、いまこそ徹底的に追及する必要がある。

 日本のメディアが電通について沈黙する一方、海外のメディアは電通という存在に強い関心を抱いている。例えば、フランスのジャーナリストは「電通は日本のメディアを支配しているのか?」(2016年5月13日)と題する記事を発表した。そこでは、電通と博報堂が「広告、PR、メディアの監視を集中的に行い、国内外の大企業・自治体、政党あるいは政府のための危機管理を担当し、マーケットの70%を占有している。この広告帝国が日本のメディアの論調を決定していると批判する人々がいる」と指摘されている(内田樹氏訳)。

 電通は一貫して広告業界のガリバー的存在として君臨してきた。経済産業省の統計では、2015年の国内広告業の売上高は5兆9249億円。このうち電通の売上高(2015年12月期)は1兆5601億円で、約26%のシェアを握っている。

 電通は、広告主のために、テレビ、新聞、雑誌、交通広告などの広告枠を用意するだけではなく、広告の制作も行っている。さらに、五輪をはじめとするイベント、PR、セールスプロモーションなどを幅広く手掛けている。テレビのゴールデンタイムのスポンサーの割り振りを、実質的に仕切っているのは電通だ。ゴールデンタイムにコマーシャルを流したい広告主は、電通にお願いするしかないということだ。

 例えば、民間テレビ局の収益は、その100%を視聴料ではなくCM放映料に依存している。このため、テレビ局をスタートさせる開局の時点から電通に依存してきた経緯がある。

 その結果、顧客に多くの大企業を抱えている電通は、テレビ番組の広告枠を「買い切る」ことができる。これにより、テレビ局に対して極めて大きな影響力を確保している。また、電通は大手新聞社、全国・地方テレビ局、その他マスメディア関連会社に社長やトップクラスの役員を送り込んできた。メディアに対して、これほどの影響力を持っているからこそ、電通は不都合な記事を抑えたり、扱いを小さくしたりするだけの力を持っている。露骨な圧力をかけなくても、メディアの側が自主規制してしまう。原発報道は、その典型的な事例だ。

 メディアに対する広告の力は、原発のみならず、安全保障や経済政策など政府が進める政策に対する批判を封じ込める役割を果たしている。小泉政権の郵政民営化を批判した森田実氏、テレビ朝日の「報道ステーション」で政権に対する厳しい批判を展開した元経産官僚・古賀茂明氏、都知事選に出馬し、東京五輪批判を展開した上杉隆氏など、多くの評論家やジャーナリストが番組からの降板に追い込まれてきた。

 ところで、2015年6月25日に自民党本部で開かれた、安倍首相に近い若手議員の勉強会「文化芸術懇話会」(代表:木原稔・党青年局長)の初会合で、大西英男衆議院議員が驚くべき発言をしている。

 「マスコミを懲らしめるには広告収入がなくなるのが一番。…文化人、民間人が経団連に働きかけて欲しい」

 ここには、広告の力によってメディアの報道が統制されてきた現実が、よく示されているのではないか。

マスコミ取り込みを画策した電通

 電通は、政治と関わりを持つようになって以来、一貫して自民党と特別な関係を結んできた。田原総一朗氏の『電通』によると、電通が初めて政治と関わったのは、1952年10月のことである。1951年9月に、自由党の吉田茂はマスコミの主流を占めていた全面講和論を押し切ってサンフランシスコ講和条約を結び、日米安保条約に調印した。吉田としては、主権回復後最初の総選挙である1952年の選挙では、何としても圧勝する必要があった。そこで、主要紙に大々的に広告を打つことにした。そのプロデューサー役を演じたのが電通だった。結局、吉田自由党のPR作戦は成功、過半数を超える242議席を獲得した。

 電通は、親米路線に舵を切る吉田茂以来、常にアメリカにとって重要な政治局面でメディア対策を任されてきたのである。電通は、1960年の安保闘争でも岸信介政権のために積極的に動いた。安保改定に反対するデモが拡大する中で、同年6月15日には、国会に突入した東大生の樺美智子さんが警官隊と衝突して死亡した。その直後の17日、在京新聞社7社による「議会政治を守れ」としたスローガンを掲げた社告が掲載され、反安保の盛り上がりを鎮静化させる役割を果たした。この社告を、朝日新聞社の笠信太郎とともに主導したのが電通の吉田秀雄だった。

 さらに吉田秀雄は、反安保を主張するマスコミを嫌悪し、広告をストップさせると牽制することによって、マスコミの論調を軌道修正させることを検討していたという。実際吉田は、マスコミ取り込みの手段として、財界とマスコミの交流の場として「マスコミ懇談会」を作っている。……

以下全文は本誌2017年1月号をご覧ください。