共謀罪に反対する

思想そのものが取り締まりの対象

 6月15日早朝、共謀罪法が成立しました。自民党と公明党は「中間報告」という奇策を使って一方的に参院法務委員会の審議を打ち切り、本会議採決を強行しました。

 6月15日は安保闘争で亡くなった樺美智子さんの命日にあたります。その後、当時の総理大臣であり安倍首相の祖父である岸首相が辞任したことを考えると、因縁を感じざるを得ません。

 共謀罪では実際に犯罪行為に着手していなくとも、「準備行為」がなされた時点で処罰の対象となります。確かにテロのような犯罪行為は事前に対処しなければならないという側面はあると思います。しかし、「準備行為」の定義はあいまいであるため、どこまでも拡大されていく恐れがあります。

 また、実際に犯罪行為がなされていなくとも取り締まりの対象になるということは、思想そのものが取り締まりの対象になるということです。そのため、時の政権にとって不都合と見なされれば、テロ思想や共産主義思想だけでなく、保守思想や創価学会という思想も対象にされる可能性は十分あります。

 そういう意味では、共謀罪は戦前の治安維持法と何ら変わりません。これは言論弾圧にも利用されていくことになるでしょう。

 ところが、マスコミや言論人の中には、共謀罪に賛成している人たちもいます。彼らは自分たちが共謀罪の対象になるとは全く考えていないのだと思います。それは、彼らが権力者にとって不都合な言論活動をしていない、つまり、体制迎合的な言論活動しかしていないからです。権力からすれば、彼らは実に御しやすく、ほとんど相手にもしていないでしょう。

 力のある言論は、現実を揺り動かし、現実を変え得るものです。だからこそ権力は恐れをなし、弾圧しようとします。言い換えれば、弾圧の対象になる言論こそ本物の言論であり、弾圧されない言論は偽物の言論だということです。

 共謀罪成立をきっかけに、日本の言論界は閉塞状況に陥っていくと思います。それでも言うべきことを言い続けることができるか、言論人一人一人の覚悟が問われています。

 ここでは、『日本会議をめぐる四つの対話』(弊社刊)に収録されている、著述家の菅野完氏と京都精華大学専任講師の白井聡氏の対談を紹介したいと思います。

それでも時流に抗い続ける

菅野 ……僕は最近の日本の動きを見ていると、ちょっと悲観的にならざるを得ないところがあるんです。

 僕は『日本会議の研究』を書いている最中は、肩に力が入っていて、「この問題について書いているのは俺だけだ」「マスコミはこびている」などと思っていたんです。だけど、あとがきを書き終えた時にやっぱり自問自答しましたね。先ほど安倍政権が憲法を変えるために実際に有事を起こすのではないかという話が出ましたが、そのような状況になってもまだ自分は書くことができるか、しゃべることができるか、と。

 その答えはまだ出ていません。正直言って怖いです。だけど、4年先、5年先の近未来にそうしたことが起こることは想定しておかないといけない状況だと思います。

白井 まさにそうだと思います。彼らが憲法に国家緊急事態条項を加え、それを発動させるような状況を作り出し、それを梃子にして全面改憲に進もうとしているという道筋は絵空事ではないと思います。

 それは非常に恐ろしいことですが、ただし、道筋がはっきりしてきた分、対策も立てやすくなっていると思います。「相手はこのように出てきますよ」ということが言いやすい局面になってきたということだし、ある意味、向こうは「この道しかない」という形でやってきているわけですから。どこかでそれを止めることができれば、立ち往生するしかなくなると思うんです。

菅野 ただ、白井さんもご著書の中で指摘されているように、日本の世論は北朝鮮のテポドン一発でがらっと変わってしまったという経験を持っていますよね。日本社会の弱さはすでに20年前に立証済みです。

白井 そこが厳しいところですね。

菅野 実際に有事が起きた時に、それでも時流や大勢に抗うことができるか。それでもまだ言うべきことを言うことができるか。戦前の菊竹六鼓や石橋湛山のように振る舞うことができるかどうか。それが問われているのだと思います。