日本会議の言論弾圧を許すな

裁判に訴えた時点で、言論としては負け

 菅野完氏の著書『日本会議の研究』(扶桑社)の記述で名誉を傷つけられたとして、宗教団体「生長の家」の元幹部の男性が販売差し止めなどを求めた仮処分の申し立てで、東京地裁は販売差し止めなどを命じる決定を出しました(1月6日付朝日新聞デジタル)。ベストセラー書籍の販売差し止めは異例のことです(同産経ニュース)。

 これは率直なところ言論弾圧と言わざるを得ません。言論で挑まれたならば言論で応えるのが筋というものです。裁判に訴えたということは、自分には相手を論破する力がないということを認めたも同然です。言論としては、裁判に訴えた時点で訴えた側の負けなのです。

 もっとも、現在の風潮を見ていると、日本では今後もこのような言論弾圧が繰り返される恐れがあります。国家権力はどんどん肥大化しており、マスコミは次々と権力に屈していっています。それでも言うべきことを言い続けることができるか、言論人一人一人に問われています。

 ここでは、『日本会議をめぐる四つの対話』(弊社刊)に収録されている、菅野完氏と京都精華大学専任講師の白井聡氏の対談を紹介したいと思います。(YN)

それでも時流に抗い続ける

菅野 ……僕は最近の日本の動きを見ていると、ちょっと悲観的にならざるを得ないところがあるんです。

 僕は『日本会議の研究』を書いている最中は、肩に力が入っていて、「この問題について書いているのは俺だけだ」「マスコミはこびている」などと思っていたんです。だけど、あとがきを書き終えた時にやっぱり自問自答しましたね。先ほど安倍政権が憲法を変えるために実際に有事を起こすのではないかという話が出ましたが、そのような状況になってもまだ自分は書くことができるか、しゃべることができるか、と。

 その答えはまだ出ていません。正直言って怖いです。だけど、4年先、5年先の近未来にそうしたことが起こることは想定しておかないといけない状況だと思います。

白井 まさにそうだと思います。彼らが憲法に国家緊急事態条項を加え、それを発動させるような状況を作り出し、それを梃子にして全面改憲に進もうとしているという道筋は絵空事ではないと思います。

 それは非常に恐ろしいことですが、ただし、道筋がはっきりしてきた分、対策も立てやすくなっていると思います。「相手はこのように出てきますよ」ということが言いやすい局面になってきたということだし、ある意味、向こうは「この道しかない」という形でやってきているわけですから。どこかでそれを止めることができれば、立ち往生するしかなくなると思うんです。

菅野 ただ、白井さんもご著書の中で指摘されているように、日本の世論は北朝鮮のテポドン一発でがらっと変わってしまったという経験を持っていますよね。日本社会の弱さはすでに20年前に立証済みです。

白井 そこが厳しいところですね。

菅野 実際に有事が起きた時に、それでも時流や大勢に抗うことができるか。それでもまだ言うべきことを言うことができるか。戦前の菊竹六鼓や石橋湛山のように振る舞うことができるかどうか。それが問われているのだと思います。